お知らせ

13 February,2007
POSTED22:06:26

メディアの中立性?

メディアは中立であって欲しいというナイーブな気持ちも判らないわけではないのですが、メディアに限らず、そもそも中立な存在というものはほとんど私たちの周りに見当たりません。なんらかの偏向や差分こそが存在感そのものなのです。「中立公正なジャーナリズム」を標榜するメディアがあったら、まずは疑ってかかって問題ない。不思議な表現になりますが、もっとも中立に近いのは、「膨大な数の偏向」が集まっている状態のときでしょう(一般に、異なるたくさんの小さなシステムが集合している状態が全体の系としては最も安定します)。

今話題の「あるある大事典」の放映が始まった当初、何ヶ月か連続で見ていた時期があります。半信半疑ではあったのですが、とりあげるトピックそのものや結論の意外性が面白い。しかしある時ちょっと気になって、その数ヶ月間で「あるある」がとりあげたトピックを全部積算してみました。そうすると結論はただひとつ「様々な種類の食事を適当な量だけ摂り、適度に運動するのがよい」という、ごく常識的なことを言っているに過ぎないのです。しかしその当たり前のことをそのまま出しては番組として成立しない(面白くない)ので、それをトピック毎に分割して、トピックのひとつひとつ(レタスというトピック、納豆というトピック等々)を際立たせることができれば番組として面白くなる、スポンサーが喜んでくれる、というだけの話なのです。それをわきまえて見る分にはなんの問題もない。

この「際立たせる」という行為を拡大解釈していくと捏造になるわけです。統計的には誤差の範囲であっても、事実として違うということを言い張ることは簡単です。「際立たせる」と「捏造」は同じ直線上にあります。従って「あるある大事典は捏造だった」ということで大騒きしているメディア自体が、その苦しい立場を二重に露呈していると言えるでしょう。

テレビなどのメディアは、小さな変化を拡大再生産することによってしか生き残れない、という事実さえおさえておけばいいのです。「ほとんどの日本人は今日も平穏無事でした」ではニュースにならない(面白くない)ので、普段、自分の周りではほとんど観察することのできない「異常な出来事」を重大な事件や事象として取り上げる。メディアは重要だから取り上げているのではなく面白いから取り上げているのです。しかし面白いから取り上げたとは口が裂けても言えないのであたかも重要であるかのようなトピックの取り上げ方をせざるを得ません。私たちはここに対して意識的である必要があります。


倫理が物事をドライブさせていくのはなかなか難しいのですが、ここにエンタテインメントというシェル(殻)をかぶせると、ユーザーが動いてくれます。楽しさはモチベーションとしては相当強力です。どのようなビジネスでも、事業計画を練る時に「それをユーザーは楽しんでくれるだろうか」という部分を意識すると案外うまくいきます。論理的な正しさ、倫理上の正しさを伝えるときにでも面白さというシェルはとても重要です。逆にユーザーには、エンタテインメントの裏側にある正しさや間違いを見抜く力量が問われているのかもしれません。

Posted by takeda at 22:06 | Trackbacks [0]

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