02 September,2006
POSTED11:09:38
一般に、道具は使い込むほど、その存在感が希薄になり、自分の手足あるいはアタマの延長として、無意識にその機能を発揮させることが可能になります。ハサミやボールペン、自動車など、目に見えるわかりやすい道具はもちろんのこと、ソフトウエアやWeb上の各種サービスなどについても同じことが言えます。
後から、もっとすごいハイスペックのものが登場しても、なかなか乗り換えることができないのは、高いスイッチングコストの負担、すなわち道具の習熟に時間と金がかかり、なおかつ、自らのスタイルを変えなければならないかもしれないという、ある種のリスクを取ることに対する不安があるためであろうと思われます。無意識に使える快適な環境を捨ててまでも乗り換えたいものはそうそう出現してはくれないことを私たちは知っているのです。
逆にリクルート発行の「R25」のような無代誌は、スイッチングコストがべらぼうに低い(ほぼゼロだと言ってもいいでしょう)ので、爆発的に普及することになります(リクルートにとっての事業として成功なのかどうか、という話はさておき、ですが)。これが、ある種のカテゴリーの(有料)雑誌をおそらく完膚なきまでに叩きのめしたはずです。(余談ですが、携帯電話とカラオケのように、まったく違うジャンルのものがマーケティング上はお互いの因果関係として作用しあうことがあるので、ここのところは少し注意しておきましょう。つまりR25は既存雑誌とは別の何かの代わりとして出現した可能性があります)。
ところで、日本のSNSブームに火をつけたのは、Google(の社員)が開始した、orkut だったかと思いますが、当初、日本語対応していなかったにもかかわらず、日本人とブラジル人がなぜか非常に多い、ということで話題になったように記憶しています。orkutは私たちに新しい書式(フォーマット)、あるいは構造(すなわち新しい道具)というものを提示してくれました。
しかし、それも束の間。mixiなどの日本語でのサービスが開始されるやいなや、orkutユーザーの大半はその拠点をmixiに移してしまったように見えます。これは日本語という道具が日本人には使いやすいというあたりまえの事実が、スイッチングコストを劇的に低くしたという事実によるものでしょう。
その後、機能的には遥かにmixiを上回るようなサービスが続々登場しているにもかかわらず、その新しいサービスに乗り換えた、という話はあまり聞きません。たくさんの新しいサービスへの招待(invitation)メールが届いても、何か「画期的」なことでもない限り、あるいはmixiとは違う道具だという認識が成立しない限り、そちらへシフトしようと思うインセンティブは発生しません。
実は、mixiユーザーにとって、最も重要な「友人」はmixi自身ではないでしょうか。もちろん、mixiには自分にとって大切な(本当の意味での)友人の情報がたくさんある、使いやすい、コミュニティが多い、等々、たくさんの「移らないための」理由があるはずですが、他のサービスに乗り換えない最も重要な理由はmixiに「道具としての存在感がない」からでしょう。わかりにくい表現になりますが、存在感のないものは代替不可能な存在であることが多いのです(もっともわかりやすいものが「空気」ですね)。従ってそれを失ったときの悲しみやつらさは想像を絶するものになります。
ユーザーにとって存在感のない道具は、2番手以降のプレイヤー(事業主)にとっては非常に高い障壁として存在し、攻めにくい相手になります。なぜならそれがそのサービスの「代名詞」になってしまっているからです。2番手以降は、当然のように戦略変更を余儀なくされるわけです(まったくのデッドコピーで行くという戦略も、米国の企業は大好きなようですが)。
同じような理由で、大半のユーザーにとっては「インターネットとはYahoo!のことであり」「書店はamazonのことで」「フリマはebay(日本では撤退しましたが)」なのです。そう認識していても日常生活は快適に過ごせます。従って事業主としては、自分が開発するサービスが、今はまだ存在しない何かの代名詞になり得るかを考える必要があります。この代名詞の数は、私たちが想像するよりはたくさんあるのではないかとも思うのです。新しい構造(structure )や、新しいフォーマットが何かの代名詞として認識してもらったときは、それはそれは(事業主としては)嬉しいものです。道具として、ユーザーとの絆ができたのですから。