<?xml version="1.0" encoding="EUC-JP"?>
<rss version="2.0">
   <channel>
      <title>お知らせ｜スタイル株式会社</title>
      <link>http://www.style.co.jp/news/</link>
      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
      <lastBuildDate>Thu, 01 Apr 2010 00:42:37 +0900</lastBuildDate>
      <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>wirelesswire を公開しました</title>
         <description><![CDATA[通信事業者の方のためのニュースサイト<a href="http://wirelesswire.jp/">http://wirelesswire.jp/</a>を公開しました。

twitterは<a href="http://twitter.com/WirelessWire_jp">こちら</a>]]></description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2010/04/01/wirelesswire.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2010/04/01/wirelesswire.html</guid>
        
        
         <pubDate>Thu, 01 Apr 2010 00:42:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ワイアードビジョンでブログ始めました</title>
         <description><![CDATA[しばらく<a href="http://wiredvision.jp/blog/staff/takeda/">こっち</a>をメインにして書いていきます。]]></description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2008/03/21/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2008/03/21/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Fri, 21 Mar 2008 15:09:07 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>コンテンツの価値</title>
         <description>コンテンツの価値は、1）正味価値、2）差し出され方、3）受け取るユーザーのコンテクスト（文脈）、この3つの掛け算で決まります。世間で議論されている「コンテンツ」は1）を指すことが多いのですが、これを純粋に抽出・評価するのは意外と困難です。

もっとも判りやすいのは2）の価値で、これは「プレゼンテーション」という言葉に置き換えることが可能です。プレゼンテーションは実に多くの要素から構成されます。例えば新聞を例にとると、1）に相当するのはテクスト（文字）や写真くらいしかないのですが、2）に該当するものとしては、

・ヘッドライン、リード、キャプション
・レイアウト/デザイン
・編成（方針）
・筆者（のプロフィールや過去の実績）
・紙自身の物性（折り曲げ自由、軽量、インク、反射光、ディスポーザブル）
・時間による切り口（昨日一日に起きたことをまとめる、という行為）
・宅配制度
・価格

など、実に様々な要素が考えられます。従って、1）と呼ばれているものの実態はほとんど2）で構成されているので新聞のメディアとしての価値は1）よりはむしろ2）にあるのだろうと考えるのが自然でしょう。良くも悪くもプレゼンテーションこそがコンテンツなのです。また、ネットメディアは2）が案外貧弱だ、ということにも留意しておきたいと思います。

3）の価値を決める要素には時刻・場所・性別・年齢・所得・状況など、20種類程度のパラメータが想定されます。これはわりと計測しやすい（工学的な分析対象となりやすい）のですが、当然のことながら、言い換えればこれは「受信者の都合」に他ならないので、「発信者ができることは追随だけ」ということになります。但し、コンテンツの信頼性を担保するのは1)や2）ではなく、この3）に拠るところが大きいということについては注意しておく必要があるでしょう。</description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2008/02/13/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2008/02/13/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Wed, 13 Feb 2008 22:53:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>上海</title>
         <description><![CDATA[<img alt="L1000488.JPG" src="http://www.style.co.jp/news/L1000488.JPG" width="480" height="270" />
豫園の夕暮れ。]]></description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/11/18/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/11/18/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Sun, 18 Nov 2007 20:48:39 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ワイアードビジョンのセミナー</title>
         <description><![CDATA[<img alt="L1000568.JPG" src="http://www.style.co.jp/news/L1000568.JPG" width="480" height="270" />

最近大活躍中の津田大介さん、西村博之氏、元電通の千田利史氏にご協力いただき、広告・音楽・動画あたりをテーマにしたセミナーを開催。西村氏「映画とかゲームのほうが金かけてるんだから面白いに決まってる」。セミナー終わった後に気がついたんだけど、単位時間あたりのコストということでいうとCMが一番だったりするかも。]]></description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/11/17/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/11/17/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Sat, 17 Nov 2007 18:20:13 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>薄型テレビ</title>
         <description>東海大学・水島先生と打ち合わせ。とても二人だけの普通の打ち合わせとは思えない刺激的なものでした。いろいろ印象的なお話しが多かったのですが、特に気になったのが薄型ディスプレイと箱型ディスプレイで見る人の姿勢が違ってくる、という話。これは盲点でしたね。</description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/09/20/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/09/20/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Thu, 20 Sep 2007 11:52:18 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>制約という機能</title>
         <description>書店に行くと、面白そうな書籍がたくさん並べられています。予算のことや物理的な重さ等を考え、それらすべてを購入するのをかろうじて思いとどまるわけですが、これがネット書店になると、マウスを少し動かしてクリックするだけであっという間にたくさんの書籍を買ってしまうことになります。そんなにたくさんの書籍を読む時間はないのですが、制約が少ないネットにとってはそんなこと知ったことではありません。

サーチエンジン対策が重要だ、となると、すべてのサイトの運営担当者はＳＥＯ対策を施します。すべてのサイトがＳＥＯ対策を施すと、ＳＥＯ対策そのものに意味がなくなります（恐らく検索エンジンはすべてのサイトが過剰に適応したころにはアルゴリズムを変更するはずです）。カーナビに表示される渋滞情報やＥＴＣが、普及率50%を超えた瞬間から情報優位性がなくなるのも同じような理由です。アフィリエイトが有効だ、となると、サイトそのものがアフィリエイトスパムだけで構成されたサイトが一気に広がり、アフィリエイトの有用性が低下します。

要するに、自分で自分の首を絞めてしまう、過剰に普及してしまう、というのがデジタルコンテンツの特徴のひとつかもしれません。有意な差そのものをなくそうとする動きに抗うひとつの方法は、新しい方法を産み出し、時間的な差をつけることしかありません。しかしその差に追いつくためのスピードがとてつもなく速いので、矢継ぎ早の方法論を展開できる企業だけが生き残れるということになります。そういうことができる企業の数はそれほど多くはないでしょうから、周回遅れのプレイヤーはまったく別のルールでマーケットに参入するほうが成功する確率は高いかもしれません。

さて、話が少しそれました。私たちの日常的な感覚からすると、制約というのは可能性を制限するいやな現象ととらえられがちですが、これは実はありがたい「機能」です。制約がないといろんなことが上記のデジタルデータ・機能のようにとめどなく広がってしまします。美味しそうな料理がたくさん並んでいても、胃袋の大きさという制約条件のためすべて食べることはできない。しかしそのために健康が担保される、というようなことですね。夏休みの宿題として「なんでもいいから作文もってこい」と言われるよりは「この三冊のいずれかについての読書感想文を書きなさい」という明確な指示を与えられるほうが、生徒ははるかに動きやすくなるはず。つまり制約とは編集方針を与えてあげる、コンテクストを作ってあげる、ということに他なりません。

制約の与え方がエラく気が利いている、というのがこれからのネットビジネスの基本になるでしょう。</description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/07/22/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/07/22/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Sun, 22 Jul 2007 22:17:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>動かないということも機能である</title>
         <description>出版物の活字は、インクが紙に定着してしまっているので、動きません。しかし、この「動かない」ということが機能になります。機能という言葉から連想するものは、器用に動き回ったり、アクティブに処理をしてくれるものを想像しやすいのですが、「何があっても動かない」ということも機能に含めて良いと思います。ちなみに紙には「落としても壊れない」「スイッチを入れなくても文字が表示される（そもそもスイッチがないのに起動する）」など、画期的な機能がたくさんあるのですが、あまりにも当たり前のことなので、ユーザーもそれを作る当事者もそれをアピールすることはありません。逆に、PCの広告などを見ていると、紙が当たり前のようにできることがほとんどできないことに大きなコンプレックスを抱いていることを隠すべく、必死で弁明しているように聞こえます。

書籍の活字は何があっても動かないことを保障しているので、いつ見ても、同じ本の同じページには同じことが書いてあります。これは絶対的な安心感につながります。一方、Webサイトの文字は「動かない」ことを保障するということはほとんどありません。パーマリンク（Permalink）で絶対URLを保障したとしても、ブラウザで文字サイズを変えたりすることでいくらでもユーザが能動的に印象を変えることができます。

ところで、「Webマガジン」という言葉は今でも日常的に使われているようです。クリックしていく感覚がページをめくるのと似ている、とか、「ある切り口で特定のターゲットに向けた編集を施した雑誌のようなもの」という説明がわかりやすい、ということから利用される言葉なのでしょう。しかし、前述のように、文字の定着を機能とするものと、文字の浮遊を機能とするものを、同じようなものだ、と捕らえるのは少々危険かもしれません。

むしろ、「文字が浮遊しているもの」に感覚的に近いのは、私たちの日常会話かもしれません。電話での会話→メールでのやり取り→Webでの掲示板は同じ仲間のように思えます。従って「Webマガジン」と呼ばれているもの、つまり「マガジンのようなWeb」は、なんだか奇妙なものにしかならないということになります。つまり間違っている可能性が高い。

どんなに雑誌のマネをしても、Webは電話にしかならないのだとすれば、むしろ「すごい電話」をWebで作るほうが手っ取り早いということになるわけですし（こういう発想でskypeが登場したわけではないでしょうけど）、いくらWebで雑誌もどきを作っても商売にならない、ということも多いはずです（私の会社にはこういう問い合わせが結構多いのです）。

いずれにせよこれに限らず、一見わかりやすいメタファーがとんでもない誤解を与えることがあるということには留意したほうが良いかもしれません。特に、最近登場してきた新しい言葉ではなく、昔から利用されてきた言葉、自分がそれに疑問を抱くことなく利用してきた言葉に悪意が込められているケース（e.g. 『年金に加入』とか『保険に入る』など、挙げたらキリがありませんが。。）が非常に多い、ということに意識的になってみるのは、事業開発のネタとしてみると面白いでしょう（これを倫理的・道義的なハナシに持っていってもあまり意味はありません）。</description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/06/24/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/06/24/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Sun, 24 Jun 2007 18:54:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>物語がある地図</title>
         <description>情報として正確な地図と、使いやすい地図の違いというのはどこにあるのかなあ、とふと考えてみたのですが、使いやすい地図には物語があるのですね。「この郵便局を目指してください。しばらく行くと、左にコンビニが見えてきますから、そのコンビニの角を曲がって、しばらく歩いたところが当店です」。

レストランなどでもらうカードの裏に記載してある地図は、起承転結が図形の中に埋め込まれているのです。さて、いまあなたが企画していることに物語は埋め込まれていますか？</description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/06/08/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/06/08/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Fri, 08 Jun 2007 06:41:26 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>WIRED VISION</title>
         <description><![CDATA[とりあえず<a href="http://wiredvision.jp/">ワイアードビジョン</a>が滑り出しました]]></description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/05/31/wired_vision.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/05/31/wired_vision.html</guid>
        
        
         <pubDate>Thu, 31 May 2007 23:55:14 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>リンク</title>
         <description><![CDATA[きちんと証明されているわけではありませんが「保守的な意見はリンクが加速されやすい」という言説があります。「沈黙の螺旋」はネット上でも生成されやすいということですが、ネットは沈黙してないところがミソだったりします。賛同を得やすい意見は比較的安全ですからリンクが増加するのでしょう。従って、少数派の意見はリンクが多層化しにくいということになるので、リンクの多数派とリンクの少数派を比較すると、ネット上では多数派が圧倒的な存在であるかのように見えやすいということになります。ブログ検索エンジンなどを利用していると実感いただけるはずです。

当たり前ですが、この多数派の意見は「同じことを言っている」ので、まるでコピー＆ペーストしただけではないかと思われるようなものが爆発的に露出します（実際コピー＆ペーストも多い）。検索エンジンはsemanticではありませんから読むほうは大変です。国立情報学研究所の高野さんは月刊アスキーのインタビューで、この現象を「ハウリング」とおっしゃってました。わかりやすい表現ですね。物理的な文字の量は確かに多いが、意味の種類はそれほどではない、といったところでしょう。

現在のネット上のリンク<a href=""></a>は、ただ単に「つながっている」だけで、それ自体が論理的な意味や感情的な意味を持っているわけではありません。trackbackという仕掛けには多少「おれのサイトにずけずけと乗り込んできやがった」というニュアンスを感じないこともありませんが、その本当の意図を読み解くのは少し難しいことが多いですね。

というわけで、これからもリンクは論理を持たず、感情を持たず、物語を生成できないのだ、と言われたら、新規事業開発担当として「そんなことはないだろう」と考えなければなりません。但し、巨大なクラスターが出来にくいほうが正しい、というゴールになるはずなので、あまり儲からない可能性が高い。どうしてもトランザクションが小さい、長尾（long tail）になるわけです。従って、この「高機能リンク」は、取引単価が高いもの、要するにB2Bのリンクに向いているかもしれません。人材募集で言えば、アルバイトをたくさん集めるのではなく、ヘッドハンティングに近い行為です。ここは強力なフィルターを必要とする信用取引になります。]]></description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/03/31/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/03/31/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Sat, 31 Mar 2007 21:36:05 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>大文字での議論</title>
         <description>メディアに接触する時の態度（行為）、すなわち「読む」「見る」「聞く」などに代表される動詞は、それが意味するところのダイナミックレンジがとてつもなく広い、ということに対して、なぜか私たちはとても寛容です。

「最近の若者は本を読まなくなった、とよく言われるがそんなことはない、彼らは膨大な量のWeb上の文字を読んでいるではないか」という言説をよく耳にします。ここには、Web上でのテキストを「読む」という行為と紙に印字された文字を「読む」という行為を同一視することで単純な足し算が成立するという暗黙の了解があります。

ところが最近の脳科学研究分野では、透過光を見ているときと反射光を見ているときでは脳の発火する箇所が違うということが観測されています。発火している場所が違うのに、それが同じ行為だと解釈するのは相当無理があります。この場合の「読む」という行為が、ひとつの言葉で括ることができない別の行為であるということは、前提条件が揃っていないということに他なりません。従って、この後に続く議論にもあまり意味はありません。電子出版と言われる分野ではこのあたりの重要な差異をすべて「読む」という大文字の言葉に包含させてしまうことで、なんら結論の一致をみない、無意味に盛り上がるだけの議論（consummatory）のためのうってつけの素材として利用しているように見えます。

例えば「ネットは本を殺すのか」なんてのはそのもっともわかりやすい例です。「ネット」にしても「本」にしても「殺す」にしても、ここでの議題設定に出現する言葉はすべてが大文字だけで構成されています。大文字だけで構成された問いかけはたいていの場合、とても盛り上がりますが、同時にとても無意味なものになります。

やっかいなのは「ネット」にしても「本」にしても、個々のレベルでそれがどんなものか「判っているような気がするので」議論への参加を容易にしている点です。だから議論がとても盛り上がり、かつすれ違うわけです。インターネット上のサービスでもありとあらゆるものがあるし、本も、小説からビジネス書・辞書まで様々な形態があります。同じ本でも例えば小説は、ビジネス書よりは音楽CDのカテゴリに入れたほうが自然なものかもしれないのに。

あるいは、「あなたは一日あたり何時間くらいテレビを『見て』いますか」という調査票を受けとった時、この「見る」という言葉が、あまりに簡単に解釈できてしまい、なおかつそのどれもが間違いではない、つまりダイナミックレンジが広いので、毎日テレビで映画を2時間くらい「凝視」している人と、テレビのスイッチはONになっているけど、存在感の少ない音と映像の環境、としか考えていない人の差が検出できません。しかし、結果は「日本人は一日あたり平均で3時間テレビを「見ている」になります。

しかしメディア系での大文字議論の話はまだ平和です。同様の類が国会審議での論戦で行われているのを見るとぞっとします。国会で大文字の議論をやってはいけないのです。対象（Object）を明確にするためには、そのひとつの対象に対してたくさんの言葉を使用する必要があります。多角的にたくさんの言葉をぶつけることで誤解はぐんと減ってきます。従って言葉をたくさん使い分けることができるというのは、論理的に議論を構成するための必要条件になります。「論理的な議論が構成できる人」というと、なんだかクールな性格の人と思われがちですが、まったく逆です。

言葉を知らないということは、すべての表現が大文字になり、レトリックが使えず、発言のすべてが誤解だらけになり、自分の気持ちを正しく伝えることができず、相手の言ってることのニュアンスも汲み取ることができない、ということなのです。これは無意識に、他人を相当突き放した状態に置いていると言っても差し支えないでしょう。つまり「優しく」ないのです。</description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/02/18/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/02/18/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Sun, 18 Feb 2007 18:01:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>メディアの中立性？</title>
         <description>メディアは中立であって欲しいというナイーブな気持ちも判らないわけではないのですが、メディアに限らず、そもそも中立な存在というものはほとんど私たちの周りに見当たりません。なんらかの偏向や差分こそが存在感そのものなのです。「中立公正なジャーナリズム」を標榜するメディアがあったら、まずは疑ってかかって問題ない。不思議な表現になりますが、もっとも中立に近いのは、「膨大な数の偏向」が集まっている状態のときでしょう（一般に、異なるたくさんの小さなシステムが集合している状態が全体の系としては最も安定します）。

今話題の「あるある大事典」の放映が始まった当初、何ヶ月か連続で見ていた時期があります。半信半疑ではあったのですが、とりあげるトピックそのものや結論の意外性が面白い。しかしある時ちょっと気になって、その数ヶ月間で「あるある」がとりあげたトピックを全部積算してみました。そうすると結論はただひとつ「様々な種類の食事を適当な量だけ摂り、適度に運動するのがよい」という、ごく常識的なことを言っているに過ぎないのです。しかしその当たり前のことをそのまま出しては番組として成立しない（面白くない）ので、それをトピック毎に分割して、トピックのひとつひとつ（レタスというトピック、納豆というトピック等々）を際立たせることができれば番組として面白くなる、スポンサーが喜んでくれる、というだけの話なのです。それをわきまえて見る分にはなんの問題もない。

この「際立たせる」という行為を拡大解釈していくと捏造になるわけです。統計的には誤差の範囲であっても、事実として違うということを言い張ることは簡単です。「際立たせる」と「捏造」は同じ直線上にあります。従って「あるある大事典は捏造だった」ということで大騒きしているメディア自体が、その苦しい立場を二重に露呈していると言えるでしょう。

テレビなどのメディアは、小さな変化を拡大再生産することによってしか生き残れない、という事実さえおさえておけばいいのです。「ほとんどの日本人は今日も平穏無事でした」ではニュースにならない（面白くない）ので、普段、自分の周りではほとんど観察することのできない「異常な出来事」を重大な事件や事象として取り上げる。メディアは重要だから取り上げているのではなく面白いから取り上げているのです。しかし面白いから取り上げたとは口が裂けても言えないのであたかも重要であるかのようなトピックの取り上げ方をせざるを得ません。私たちはここに対して意識的である必要があります。


倫理が物事をドライブさせていくのはなかなか難しいのですが、ここにエンタテインメントというシェル（殻）をかぶせると、ユーザーが動いてくれます。楽しさはモチベーションとしては相当強力です。どのようなビジネスでも、事業計画を練る時に「それをユーザーは楽しんでくれるだろうか」という部分を意識すると案外うまくいきます。論理的な正しさ、倫理上の正しさを伝えるときにでも面白さというシェルはとても重要です。逆にユーザーには、エンタテインメントの裏側にある正しさや間違いを見抜く力量が問われているのかもしれません。</description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/02/13/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2007/02/13/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Tue, 13 Feb 2007 22:06:26 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>アルバムを発売してみるという思考実験</title>
         <description>LPレコードを収納する33cm四方のジャケットは、レコード盤に刻まれた音楽をたった一枚の絵で可視化してくれる、とても饒舌なビジュアルだったように思います。「ああ、これを買ったときはあんなことがあった」などと思い出すことも多く、個人的な思い出とも直結していたりします。

毎年一枚のアルバムを発売するミュージシャンにしてみれば、まさにその年を象徴するビジュアルなんだろうと思うわけですが、果たしてこれはミュージシャンだけの特権なのでしょうか？

10月にカレンダーの販売が始まる頃から、「今年はどんな年だったか」を振り返る機会も増えるわけですが、ビジネスマンが「自分が今年発売したアルバム（仕事上の成果の集大成）はこんな音楽を詰めて（業務内容）、こんなジャケットを描いて（ビジュアルイメージ）発売してみたんだけど、売れ行き（評価）はイマイチだったなあ」などと振り返ってみるのもなかなかオツだと思いませんか？

つまり、ビジネスマンといえども、毎年一枚の「アルバム」を発行しているのだと考えると、10年、20年と、そのビジュアルイメージの異なるアルバムを俯瞰してみたときに、「いろんなことやって面白かったなあ」と掴みやすいかもしれないな、と思うのです。同じ会社にずっと勤務する人でも、その時々の情勢、ポジション等でやることも変わりますから、自然とアルバムジャケットのイメージも違ったものになるはずです。もちろん仕事だけでなく、家庭のことなども総合的に描いてみるのもいいですね。

ミュージシャンが楽器、プロデューサ、その他様々な道具を駆使してアルバムを作り上げるように、ビジネスマンもPC、ネット、人間関係、業界特有の道具、などを武器に様々な「音楽」を奏でる、というわけです。

さて、みなさんは来年、どんな道具を使って、どんなユーザーに向けて、どんなアルバムを発売してみようと思いますか？そう考えるだけで少しだけわくわくしませんか？</description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2006/12/19/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2006/12/19/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Tue, 19 Dec 2006 14:51:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>道具との絆（きずな）</title>
         <description>一般に、道具は使い込むほど、その存在感が希薄になり、自分の手足あるいはアタマの延長として、無意識にその機能を発揮させることが可能になります。ハサミやボールペン、自動車など、目に見えるわかりやすい道具はもちろんのこと、ソフトウエアやWeb上の各種サービスなどについても同じことが言えます。

後から、もっとすごいハイスペックのものが登場しても、なかなか乗り換えることができないのは、高いスイッチングコストの負担、すなわち道具の習熟に時間と金がかかり、なおかつ、自らのスタイルを変えなければならないかもしれないという、ある種のリスクを取ることに対する不安があるためであろうと思われます。無意識に使える快適な環境を捨ててまでも乗り換えたいものはそうそう出現してはくれないことを私たちは知っているのです。

逆にリクルート発行の「R25」のような無代誌は、スイッチングコストがべらぼうに低い（ほぼゼロだと言ってもいいでしょう）ので、爆発的に普及することになります（リクルートにとっての事業として成功なのかどうか、という話はさておき、ですが）。これが、ある種のカテゴリーの（有料）雑誌をおそらく完膚なきまでに叩きのめしたはずです。（余談ですが、携帯電話とカラオケのように、まったく違うジャンルのものがマーケティング上はお互いの因果関係として作用しあうことがあるので、ここのところは少し注意しておきましょう。つまりR25は既存雑誌とは別の何かの代わりとして出現した可能性があります）。

ところで、日本のSNSブームに火をつけたのは、Google（の社員）が開始した、orkut　だったかと思いますが、当初、日本語対応していなかったにもかかわらず、日本人とブラジル人がなぜか非常に多い、ということで話題になったように記憶しています。orkutは私たちに新しい書式（フォーマット）、あるいは構造（すなわち新しい道具）というものを提示してくれました。

しかし、それも束の間。mixiなどの日本語でのサービスが開始されるやいなや、orkutユーザーの大半はその拠点をmixiに移してしまったように見えます。これは日本語という道具が日本人には使いやすいというあたりまえの事実が、スイッチングコストを劇的に低くしたという事実によるものでしょう。

その後、機能的には遥かにmixiを上回るようなサービスが続々登場しているにもかかわらず、その新しいサービスに乗り換えた、という話はあまり聞きません。たくさんの新しいサービスへの招待（invitation）メールが届いても、何か「画期的」なことでもない限り、あるいはmixiとは違う道具だという認識が成立しない限り、そちらへシフトしようと思うインセンティブは発生しません。

実は、mixiユーザーにとって、最も重要な「友人」はmixi自身ではないでしょうか。もちろん、mixiには自分にとって大切な（本当の意味での）友人の情報がたくさんある、使いやすい、コミュニティが多い、等々、たくさんの「移らないための」理由があるはずですが、他のサービスに乗り換えない最も重要な理由はmixiに「道具としての存在感がない」からでしょう。わかりにくい表現になりますが、存在感のないものは代替不可能な存在であることが多いのです（もっともわかりやすいものが「空気」ですね）。従ってそれを失ったときの悲しみやつらさは想像を絶するものになります。

ユーザーにとって存在感のない道具は、2番手以降のプレイヤー（事業主）にとっては非常に高い障壁として存在し、攻めにくい相手になります。なぜならそれがそのサービスの「代名詞」になってしまっているからです。2番手以降は、当然のように戦略変更を余儀なくされるわけです（まったくのデッドコピーで行くという戦略も、米国の企業は大好きなようですが）。

同じような理由で、大半のユーザーにとっては「インターネットとはYahoo!のことであり」「書店はamazonのことで」「フリマはebay（日本では撤退しましたが）」なのです。そう認識していても日常生活は快適に過ごせます。従って事業主としては、自分が開発するサービスが、今はまだ存在しない何かの代名詞になり得るかを考える必要があります。この代名詞の数は、私たちが想像するよりはたくさんあるのではないかとも思うのです。新しい構造（structure ）や、新しいフォーマットが何かの代名詞として認識してもらったときは、それはそれは（事業主としては）嬉しいものです。道具として、ユーザーとの絆ができたのですから。</description>
         <link>http://www.style.co.jp/news/archives/2006/09/02/post.html</link>
         <guid>http://www.style.co.jp/news/archives/2006/09/02/post.html</guid>
        
        
         <pubDate>Sat, 02 Sep 2006 11:09:38 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>

